【介護離職する前に】

仕事と介護の両立は大事!でも、どうにもならない時もある。そんな時は無理せず会社を辞めましょう。働き方を変えても負担は減りません。であれば働き先を変えるしかない。それでもだめなら離職するしかない。しかし誤解しないでほしい。これは親のお世話をするのではなく、親の介護状態を軽度化するための離職です。介護離職は親子が向き合う最後のチャンスです。

 

【介護離職の原因】

介護離職は複数の原因が重なって当事者に重くのしかかってくる問題だ。まず、介護保険サービス。本来、介護保険は自立支援サービスのはずだがケアプランや各介護サービスの介護計画書はそうなっていない。さらに、介護保険制度が説明不足の市区町村の責任。いまだに制度や地域包括支援センターを知らない人たちもいる。早期相談ができていれば状況は変わるはずだ。

 

【介護離職の特効薬はない】

親や配偶者の介護に直面した時、仕事と介護の両立できる特効薬は残念ながらない。介護離職は家族の関係性と介護を取り巻く諸問題の副産物だからだ。そのためそれぞれの課題解決ができて初めて両立につながる。特に親子や夫婦の関係性に問題がある場合は、様々なサービスを利用しても両立することは不可能だ。親子や夫婦の問題は対話でしか解決できない。

 

【介護離職と親の気持ち】

「自分(親)の年金や資産があるから仕事を辞めてそばにいて」という親。少なくとも私が親の立場ならあり得ない発言だ。しかし子供が自分(親)の介護をするために仕事を辞めてほしいお願いする親が意外といる。そうならないようにするため、まだ元気なうちに「親と未来を語り合う時間」を作ってみよう。介護のことではなく未来の自分たちについて対話しよう。

介護施設というキーワードでさまざまな考え方がある

 

「介護施設に入れたいんだけど、どうすればよいか?」
「そろそろ介護施設に入れたほうがいいのかな?」
「介護施設に入ってもらうように説得したいんだけど?」
「安心して入ってもらえる介護施設を教えて?」
「介護施設に入れたくないので、在宅介護を充実できないか?」
「もっと安い介護施設はないの?」
「年金だけで入れるのか?」
「介護施設に入れることは介護放棄になるのか?」
「認知症でも入れるのか?」
「介護施設に入れたいんだけど、空いてない」

 

これらの問いの99%は本人ではなく、家族からだ。
介護施設は『(家族が)入れるところ?』or『(自ら)入るところ?』

親たちが「介護」に関する対策を怠ってきたことが最大の原因
子供たちにこんな選択をさせるべきではない

本日の「てらばた」、喜んでもらえて何よりです。

 

IMG_0839.JPGIMG_0842.JPG

(在宅認知症ケア連絡会 発表原稿)

寝ている父の上に馬乗りになって殴ろうとしたことがありますか?
何が原因か、もう覚えていませんが、
就寝前、ベッドで寝ている親父と喧嘩になりました。
枕元においてあったシェーバーを投げつけられ、私のあごに直撃しました。

歩いている父をみながら「転んでくれ」と念じたことがありますか?
徘徊する親父、常時、目を離すことができない状況でした。
私に自由はなく、実家に軟禁状態です。
転倒して、骨折してくれれば入院してくれる、と考えるようになりました。

親父には、小学生まではよく遊んでもらいました。
私の記憶では、子供好きで温厚な性格。
しかしサラ金から借金するほどのギャンブル好き、母とよく喧嘩していました。
時には母を叩くこともあり、家庭は崩壊、その頃から、私は親父と話すことをやめました。
私が結婚し子供が産まれてからの父は、仏様のような穏やかなおじいちゃんに変身。
誰よりも孫のことをかわいがりました。

母は当時、要支援。僧帽弁弁膜症により人工弁、ペースメーカーをつけています。
ある日、母から勤務中に、『今から救急車で病院に行くから、後はよろしく』と電話がありました。
母はその日から1ヶ月間、入院してしまいました。
2ヵ月後、父が多発性脳梗塞で入院するまで、
私は実家に泊まりこみ、父と二人だけの生活が始まりました。

母が倒れ、実家に泊まり込んだ2ヶ月間、
当然私にも、私の家族がいて、仕事もあります。
実家に泊り込み、親父の介護をしながら、いったいいつまでこの生活が続くのか、
と不安や恐怖、絶望が入り混じった感情がこみ上げてきました。
認知症が治らなければ、この生活に終わりがない、ということです。

もともと足腰が丈夫なため、どこへでも行ってしまいます。
明け方、玄関の鍵を開けて、散歩に行ってしまった事がありました。
それ以降、私が寝る場所は廊下です。
母が倒れて入院した日、ひとりぼっちになった親父は、私が家に到着するのを待ち切れず、さまよいました。
私は30分ほど探しまわり、近所の公園にいた親父を見つけました。

『孫が裸で寝ているから、布団をかけてやれ』
『孫が棚の上から降りれなくなっているから、おろしてやれ』
『小さな虫がベッドの周りにたくさんいるから、追い払ってくれ』
など、その度に起こされるか、呼び出されました。
当然、孫も虫も家の中にはいません。

転倒を願い、寝たきりの生活になってほしい、と念ずる一方で、自分の行動は介護職として、親父のADLの維持向上を目指していました。
根気よくトイレまで誘導したおかげで、夜中にトイレに起きることがなくなりました。
そこで、私は週3回、夜中の12:00〜3:00まで、車で30分の距離にある事務所へ通勤しました。

アリセプトの副作用と、夏の暑さのためか、食欲がなくなってしまいました。
なるべく親父が好きな食べ物で、塩分に気をつけながら、3食作り続ける日々。
「転倒して入院してもらいたい」、と念じつつ、脳梗塞にならないように料理を作る毎日。

実家に泊まり込んでいる期間、親父の過去の話を聞いてみました。
恐らく父と子としてはじめて、ちゃんと会話をしました。
私の子供のころの話や、生まれてすぐに亡くなった兄の話。
さらにさかのぼって前妻の話、親父の子供のころの話など。
最初で最後の父と子の会話でした。

当時、私は介護の専門職であり、介護事業所の経営者でもありました。
しかし親父と喧嘩したこの瞬間は、介護のプロでなく、ただの家族でした。
家族と離れ、「仕事にも行かないで、あんたのために来てやってるのに」、と思ってしまった。
寝ている親父のうえに馬乗りになり、胸倉をつかんだ時、私は たまたま 、冷静になれただけです。
実際に殴らなかったとはいえ、この事件を今でも後悔しています。そしておそらく、一生悔やむと思います。
私は たまたま 、親父を虐待しなかっただけです。
私の精神状態は虐待や殺人を犯してしまった人となんら変わらなかったはずです。
一線を越えなかったのは息子の存在。
私も親であることを思い出したのかもしれません。
同時に、息子の存在は親父の人生を変え、親父の生きがいにつながりました。
犯罪者にならなかったのは家族の絆のおかげです。

親父が亡くなり6年経ちましたが、後悔していることがあります。
介護の仕事をしていながら、親父の認知症から目を背けてた
親父の認知症を受け入れられず、母に任せきりにしていた時期があって、ごめん・・・。

介護生活から逃れたくて、ショートステイやミドルステイに入ってもらった
電源のついていないテレビを、じっと眺めている姿を見たとき、申し訳なくて部屋の前で泣いてしまった。自宅じゃなくて、ごめん・・・。

鮎釣りが好きだった親父に、最後に1回、川を見せてあげたかった
鮎つりの仕掛けに必要な道具を渡したら、作り方を覚えてた。
いつか行こうと約束してたのに行けなくて、ごめん・・・。

親子の会話をもっとしておくべきだった
どんな老後を送りたかった?
おやじの人生はどんなだった?
聞きたいことはいっぱいあったんだけど・・・。
話すことを避けて、ごめん・・・。

死に目に逢えなかった
一人ぼっちで逝かせてしまってごめん・・・。

もし今なら、この後悔のうち半分以上のことはしてあげることができたと思う。
あの時はそんな余裕はまったくなかった。
でも、親父が認知症になったから、親父の過去をほんの少し知ることができた。
だからこそ親父を許すことができたし、いまこうやってここに立っていられる。


Calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2017 >>

アナライズ

Archive

Mobile

qrcode

Selected Entry

Link

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM